中国語は30歳の声を聴くころ、中華圏に赴任が決まったので、どうせな身につけて損はないと思い四声の練習から始めました。中国語の学校は当時から乱立していましたので、入門は高田馬場にある個人経営の学校で基礎から教えてもらいました。上海赴任中は通訳を雇っていたので、事務所での公用語は日本語でしたが。中国語もできたほうが断然いいと思い、個人的に高校で国語を教えている先生に個人ベースで朝早くから滞在する安ホテルの部屋まで来てもらい、当時定番の教科書を中国語だけで教えてもらいました。非常に良い先生で、なおかつエネルギッシュなので、足掛け3年間ご指導いただきました(日本留学予定だったが天安門事件の影響で白紙になったと言っていたので非常に能力のある先生でした)。
日本に帰任するころにはそこそこできるようになったので、実力を試すために、TOEICの中国語版ともいえるTECC試験を年に2回ほど受験し続けました。
中国語の通訳案内士を受験しようと思ったのは、中国国家が主催しているHSK(漢語水平考試)を目標にし始めてからでした。せっかくそこそこまで上達したのだから、その努力を何らかの形で公に証明したいというのが動機でした。
本格的に中国語での受験を考えたのは、HSK6級をクリアしていれば、1次試験免除にあることを聞きつけてからです当時HSK5級までは合格しているので、もうひと息で6級というところでした。しかしながら5級と6級との差はひたすら大きく、独学では無理かなと思っていたところで、いくつか学校を見学していたところHSKをメインに指導している学校を高田馬場で見つけました。先生は固定だし、料金も他の学校よりもリーズナブルだったため通学して受講することになりました。
①新高
流ちょうな日本語を操る中国人講師ですが、HSKの試験官も兼ねているとのことで、私のとっては最適でした。ところが相変わらずHSK6級の壁は厚く、受験すること数回、学校に通い始めて2年後の2019年にようやくクリアすることができましでき、2020年の2次試験から受験できる運びとなりました。
ただ上述の学校には通訳案内士試験には精通していないので、案内士試験を主として学校を探して、目白にそのような学校を発見して2次試験対策を7月より開始しました。講師は確かに通訳案内士試験を熟知しており、毎週与えられた範囲のテーマを暗記して説明するという、プチ面接試験のような授業でした。